30歳子育てしながら難病に打ち克つ

2人の息子を抱えながら難病と病気と闘う、そんなmemeの生きざま

外出




外出は病院とたまーに買い物にいく、だけ。









尿がたりてないみたい

水を摂取するのを心がけなきゃ。




CRPはやっぱ上がってるけど、

肝臓の数値は下がってて、ホッとした




ARDSのときは1000こえてた

異常や、異常。

今は40とかだったかな?





ペイン科で

右の腰とお尻にトリガー注射



車椅子から立ち上がるときに激痛が走るから





で、帰りにヌーカラ3本


前から思ってたけど、腕にするとかなり痛い



お腹の方がマシだ。




打ってから眠気がきた





マシになるといいな。







あと、散歩しようって。





歩けるときに(多分夜とか)

少しずつ歩こう




タイヤ打ちはしてるんやけどなー笑





バランスボールでボムボムしようかな







bye

心と身体のバランス






難病(EGPA)になったとき

意外にも自分自身は冷静な状態でした




この大きな苦労を経験した

自分に誇りをもっていたくらい




難しいのは時間が経ってから。

1年後、2年後、3年後、4年後



水痘肺炎にかかるまで状態は、

最悪のちょっと前を低空飛行って感じでした



2〜4ヶ月に1度

襲ってくる激痛で2週間入院して

1日2回ソセゴンという強力な痛み止めの

筋肉注射をする、という生活を4年間続けました





他の病院へいけばよかったものの

傲慢で高圧的な態度の主治医で有無を言わせない

そんな方だった





ストレスと痛みへのストレス、

家族に申し訳ないという気持ちで

押し潰され、少しずつ自暴自棄になっていきました






水痘肺炎という転機がなければ、

まだあの生活を続けていたかと思うとゾッとします





水痘肺炎になり、更に

痛みは強く、障害の程度も前よりつよくなりました




始めは絶望感で溢れ、

でも子育てはしなければならないという

過酷極まりない状態



痛みを悪化させず

心の状態を平穏に保つ、

それが子供達と一緒に暮らす必須の条件となります





頻繁にママが痛みで泣いてる姿

なんて見せられませんからね



体の痛みが強くても、表情には出さない

心配かけない、心配させない




子供達がいる場所では平気で仮面を被れるように

なりました





まだまだ修行の身です








bye

病気を抱えながら子育てをするということ


私の夢は

ー子どもに美味しい料理を作ることー



でした


製菓をするのが好きで、
おやつにケーキを作ったり、


特別な日には見栄えの良い料理をしたり、


一見小さく
だれでも叶えられそうな夢でありながら


私には叶えられない夢となりました


その時の、心をビリビリに破かれたような感情は
今でも胸に突き刺さっています

号泣の2倍は号泣しました



申し訳なさと、母親の意味と、
いろんな負の感情を抱き



私は
自分がしてあげることで
人が嬉しそうにするのが
一番幸せなんです


自分の為だけに人生を使うことは
剣道を通してしてきたから


もう必要なかった


今度は
『自分が本当に大切な人達を
笑顔にする為に生きたい』

心底思っていたところで、




ーー難病ーー




しかも症状が重く、

どんなに高額な治療をしても
もうそれ以上良くなることはありませんでした

寝たきり…


働く事も、母親的な世話をすることも
できなくなりました



長男が3歳前
次男が1歳のときです


もう、2人ともママが元気に歩いている姿は
覚えていません


それもまた寂しくつらいこと…


でもまだできることはあります

子供に関する書籍を読んで読んで読みまくって
みんなに還元すること!



知識不足は絶対避けたいし、

感覚的や経験論のみでの育児は
したくありませんでした


子供達に対する誠実さは忘れないでおきたい



どんなに体調が悪くても
温かい眼差しや微笑みを欠かさず
適切な声がけを。



子供達が楽しくおしゃべりできるような
相槌を。


一見簡単そうに思えますが、

「自分自身の体調と格闘しながら」

だと本当に難しい


けれど

子供達の人格形成がなされるこの大事な時期に
後悔はしたくない







笑って生きてほしい


ママのせいで苦労をさせてしまったから







bye